病院選び・そして就職活動:たび猫の保健師学校の思い出

病院選び・そして就職活動

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4月の時点で、どこの病院の就職試験を受けるのかあれこれ考えた。私は最初に就職するなら大病院が良かった。なぜなら、大病院であれば、色々な科があるので経験の幅が広がるだろうし、教育内容もしっかりしているだろうと思ったからだ。

 

私は都内の学校だったので、病院も都内の大きい病院を受けようと思った。幸い都内には有名な大学病院などがいくつもある。私は有名どころの病院ばかりを受験することにした。

 

5月くらいから病院の資料請求を始め、6月くらいより病院見学を始めた。私たちの保健師学校では、卒業後保健師になりたいという人が多く、私のように病院の看護師になりたいという人は少数派であった。その少数派の何人かの友人と、病院の見学まわりを一緒にした。

 

有名な大病院、大学病院、国立病院などをいくつも見学した。看護師は今の時代ではまだ珍しく売り手市場の職業だが、やはり有名な大病院ともなると、誰でも入れるわけではなくなる。就職試験でけっこう落とされたりする。私が見学に行ったある病院の説明では、看護部長がはっきりと「自分の意見をちゃんともっていない人は、うちの病院に来ないほうがいいかもしれませんね」などと厳しく言う病院もあった。

 

やはり病院によって、方針から設備の立派さまで様々だ。いくつも見学に行った中で、働いてみたいという病院がいくつか出てきて、本命を3つの病院にしぼった。どれも都心にある有名な病院だった。

 

そんな中、まず一つ目の病院の就職試験を受けてみた。この病院には受かる自信はなかったが、数打ちゃ当たるとばかりにとりあえず受けてみた。すると、とてもラッキーなことにこの最初の病院の就職試験に受かってしまい、他の病院の就職試験は受けずに終わってしまったのだ。

 

就職試験は、SPIと小論文、それに面接だった。SPIというものを私はまったくやったことがなかった。どんなものかも知らなかった。しかし、就職試験のためのSPIの勉強なんて面倒くさくてやってらんねーと思った私は、ぶっつけ本番でSPIを受けた。

 

案の定、SPIはまったくできなかった(と思う)。時間がなくて問題を最後まで解くことはまったく不可能だったし、答えも多分相当違っていたと思う。それなのに受かっていたから、SPIの結果はそれほど重要視されなかったのかもしれない。

 

小論文は、確か“私の今までの人生での業績”みたいな題名で出されたように思う。業績とその理由を書くのだ。私は昔から文章を書くのはけっこう好きだったので、それなりに書けたような気がする。

 

そして、面接は数人の面接官と受験生一人の形で行なわれた。入ってからわかったのだが、私の面接官の中には、看護副部長(総婦長の次に偉い人)がいた。私が受けた病院は、“明るくて笑顔が素敵な人がウケルらしい”という噂があった。面接の時、私は得意な明るさと笑顔だけは忘れないようにした。

 

面接では、やはり「なぜ違う仕事をしてから看護師になりたいと思ったのですか?」というようなことを聞かれた。あと「就職したら何科で働いてみたいですか?」とも聞かれた。

 

私には特に働いてみたい科というのはなかった。働きたくない科は、産婦人科と小児科だった。どちらも特殊な科だから、できればもっと一般的な科で働きたかったのである。私の看護学校の時の恩師の話で、就職試験の時に「何科で働きたいですか?」と聞かれ、「産婦人科以外」と答えたら、まんまと産婦人科に配属されたという話を聞いたので、それだけは避けることにした。そこで、とりあえず最初に大変そうな病棟で経験をしておけば、あとが楽だろうと考え、「循環器外科で働きたい」と答えた。

 

なぜ、循環器外科だったのか。それは、その時の私の浅はかな知識で、“体の中で一番重要そうな臓器である心臓を診る科で、しかも外科なら大変だろう”と考えたのだ。それで循環器外科と答えた。根拠はあまりない。私が受かったこの病院は、面接の希望がそのまま通るわけではない。あくまで参考程度だということ。だから私も深くは考えなかった。

 

こうして、まず一つ目の就職試験が終わった。そしてしばらくたった後、まだ他の希望病院の就職試験を受ける前にこの病院の合格通知が届き、私は“これ幸い”にと他の病院の就職試験は受けずに済んだことを喜び、私の看護師の就職活動は終わった。

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