保健師学校で出会った友人たち:たび猫の保健師学校の思い出

保健師学校で出会った友人たち

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私たち保健学科のクラスは、とても和やかで、色々な人がいたけどそれぞれの人生を尊重しあうような、そんな大人な雰囲気で満ちていた。先生方も私達をそのように扱ってくれた。誰とでも話しやすいクラスであったが、特に仲が良くなった数人の友達がいた。

 

一人は、千葉県にある保健師学校の入試の時に出会った子だ(私は東京・千葉の保健師学校をいくつか受験した)。その子とは、千葉の保健師学校の入試の時に偶然話をし、この学校の入試の時にもまた出会い、話をしたのだ。お互い合格しているか気になっており、入学式で再会した時は、とても喜んだものだ。

 

しかも、話をしたら彼女は私と同じ年で、同じ様な経歴を持っていた。こうして私たちは意気投合し、卒業した今でも、働いている職場は違えど、お互い励ましあったり情報交換をしたりと、私のかけがえのない親友となっている。

 

もう一人は、現役で看護短大を出て、卒業後この保健師学校に来た子。現役なので私より7歳若い。見た目もとーっても今時のギャルって感じで、最初はちょっと怖いと思ったくらいだ。

 

しかしこの彼女、見た目とは裏腹に看護に対する熱い情熱を持っていて、話をしていてとても楽しかった。彼女とは卒業後も就職先が同じ病院で、配属された科こそ違ったが4年間同じところで働いた仲間である。看護師時代も時々病院の近くの居酒屋でのんだくれて、ぐでんぐでんに2人で酔っ払って帰り、私の夫に迷惑をかけたのが今となっては懐かしい思い出である。

 

彼女は私と同様に4年間勤めた後仕事を退職し、アメリカに旅立っていった。今でもアメリカから時々メールが来て、アメリカ生活を満喫し、遊び・勉強ともにがんばっているらしい^^私は今も彼女のパワフルぶりに刺激を受けている日々である。

 

彼女たちを含め、数人仲の良いグループができた。現役できた若い子もいれば、看護師として働いていた子もいる。みんな将来の夢もそれぞれで、だからこそ話をしていて面白かった。

 

この時、みんなお金がなかったが、授業が終わった後など、近くの安い居酒屋に行き、安い焼酎の水割り(必ず“水道水で”と頼んだ)を飲みながら、果てしなく夢を語った。この時は、本当に楽しかった。みんな希望に満ち溢れていたのだ。

 

人間、夢を語り合える友達がいるかどうか、というのはとても重要だと思う。特に大人になり、社会に出て働き出すと、どうしても愚痴が多くなる。就職してからの私もそうだった。しかも愚痴を言い出すと、きりがなくなってしまう。どんどん落ちていってしまうブラックホールのようだ。

 

そして愚痴を言ってもいいことなんて何もないのだ。看護師として就職したての私は、まさに愚痴ばかりの毎日だった。愚痴というのは、大体人の悪口だったりすることが多い。ストレス発散にとばかりに、同期とよく愚痴を言っていたが、ある日気がついた。愚痴を言うと、さらに疲れている自分に。

 

それに引き換え、夢を語ると元気が出てくるのだ。保健師学生の時もそうだったし、今でも私には夢を語り合える親友が数人いる。彼女たちと話をしていると、話し終わったあとに、「さあ、また頑張るぞ!」というやる気が出てくるのだ。これは大きな違いだ。

 

それと思った。まじめに夢を語り合える友人というのは、意外に少ないということを。この世の中、まじめなことを言いにくかったり、大きな夢を語るのは恥ずかしいような風潮があるような気がする。ましてや、根拠も何もない大きな夢だと、恥ずかしくてなかなか言えない。

 

だから私はとても幸せだと思う。私の大言壮語な夢をまじめに聞いてくれる友達がいて。そして、それぞれ夢が違うと、自分一人では得られない、違う分野の情報を私に持ってきてくれる。それも素晴らしい。彼女たちからもらえる元気は、私の大きなエネルギーになっていた。

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